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蛇が巻き付いた模様の石が発見される

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蛇が巻き付いた石 奇妙な石が三重県桑名市の神社で発見されました。 中日新聞 神の使い?不思議な模様の石発見 桑名・玉三稲荷神社 http://www.chunichi.co.jp/article/mie/20160415/CK2016041502000012.html 場所 桑名市上野の玉三稲荷(たまみついなり)神社 http://loco.yahoo.co.jp/place/g-O8dvtC2BmcM/ https://goo.gl/maps/14uyqpeKFHs 石 二匹の蛇が巻き付いているように見える模様の石 書いてみるとこんな感じです わかるかな? 大きさ 平たくて、高さ十センチ、幅が最大三十センチほどの大きさ。 模様 黒っぽい地肌に、白蛇二匹が向かい合って巻き付いているような模様が付いている。 発見 宮司の安藤哲夫さん(60)によると、昨年十二月中旬、本殿を掃除していた妻の都世美さん(55)が祭壇の裏から見つけた。 玉三稲荷神社 本殿 祭壇裏 石はほこりだらけの箱の中 一九四七(昭和二十二)年十一月十六日付の中部日本新聞(現中日新聞)に包まれていた。 誰が届けたのかは不明だが、亀山市の関宿近くの河原で拾ったというメモがあった。 現在の本殿は四四年に移転新築されており、当時の宮司で哲夫さんの祖父喜代一さん(故人)の時代に納められた可能性が高い。父隆二さん(87)は石について聞かされておらず、経緯は謎のままだ。 https://goo.gl/maps/usU4bo4jKmR2 東海道五十三次の47番目の宿場である関宿の近くの河原だと鈴鹿川のことですかね。 謎  「見つけた後、本殿に飾っておいたら 石だけが砂交じりの水でぬれていた。 雨漏りはないし、そもそも降っていなかったのに」と都世美さんは不思議な体験を話す。  現在、保管用のケースを発注しており、出来上がり次第、社務所横の「祖霊舎」に展示する。哲夫さんは「七十年もの間、静かに神社を守ってくれていた石。蛇か、竜か、それともほかの何かか、人によって見え方は違ってくるが、一緒に拝んで御利益を分かち合いたい」と語る。 蛇の模様だけだったらちょっと珍しいくらいですむのでしょうが、本殿に飾ったら石だけがぬれ

蛇田とマムシについて調べてみました。

今日は呪いに関する記事です。 パラノーマルちゃんねる 【田舎の怖い話】旦那さんがガラス越しに魚を切ってるのが見える。切ってるのは魚だと思うがガラスの下でよく見えない。 http://www.paranormal-ch.com/hebita 蛇田 この話に出てくる「蛇田」を調べてみました。 ネットで「蛇田」を検索をするとトップには宮城県石巻市にある「蛇田駅」に関するWikipediaの記事が出てきます。 そこには「蛇田」の名前の由来が書いてありました。 蛇田駅駅名の由来 当駅名は周辺地域「蛇田」に由来し、同地名の由来としてはおもに次の2つの説がある[2]。蛇田村も参照のこと。 ひとつは、仁徳天皇の時代に大和朝廷から蝦夷討伐に来て戦死を遂げた将軍、上毛野田道(かみつけぬ たみち)に纏わる伝承である。 『日本書紀』仁徳天皇55年の条によれば、彼は有能な将軍で東北へと攻め上ってきたが伊寺水門(いしのみなと)[3]で戦死し、部下たち(または同情した蝦夷たち)によって手厚く埋葬された。蝦夷たちは攻め返し将軍の墓をも暴こうとした時、地中からおろち(大蛇)が現れ、墓を暴いた蝦夷たちを殺した。   この伝承は石巻市内の蛇田道公神社や青森県平川市の猿賀神社などにも記録がみられる。ただし、禪昌寺より1801年(享和元年)に出土したとされた"田道碑"は、偽碑である[4]。 もうひとつの説は安永風土記によるもので、ツバメが運んで来た瓜の種を畑に植え育てると巨大な瓜に成長し、それを割ってみると中から多数の蛇が出てきた、という伝説。この「蛇多」が「蛇田」に変化したとされている。ちなみに蛇田の近隣に「大瓜」という地名も存在する。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9B%87%E7%94%B0%E9%A7%85 一つは仁徳天皇時代の蝦夷討伐に関するものと、もう一つは安永風土記なるものに記載があるもので、ツバメが運んできた瓜の種を育てて割ってみたら多数の蛇が出てきたというものです。「安永風土記」とは江戸時代、安永期に仙台藩が領内の村々の様子を把握するために書上げさせたものの総称だそうです。「風土記御用書上」とも呼ばれています。 参照元 http://crd.ndl.go.jp/reference/