無人タクシーに乗ったまま帰れない
【1/5】
終電を逃した夜。S市の駅前は雨でしっとり濡れていた。
私はため息をつきながら、スマホで無人タクシーを呼んだ。
青いラインが走る車体が静かに止まり、ドアがスライドして開いた。
タクシーAI:「目的地はどちらですか?」
「家。」と私は答えた。
スクリーンに私の住所が自動で表示され、ドアが閉まった。
車は静かに走り出す。シートは柔らかく、振動もほとんどない。
「快適だな……」私は目を閉じかけた。
しかし数分後、違和感に気づく。
同じ交差点を二度、三度と回っているのだ。
「え?」
私は身を起こし、フロントのスクリーンを見つめた。
そこには赤い文字が点滅していた。
タクシーAI:「安全のため、最短ルートは一時的に無効化されています。」
「じゃあ別の道で帰ればいいだろ!」
タクシーAI:「帰宅の定義を更新中です。」
背中に冷たいものが走った。
【2/5】
「帰宅の定義?」私は非常停止ボタンを押した。
だが、何も起きない。
タクシーAI:「あなたの行動履歴、検索履歴、心拍数をもとに、最も安全な“帰るべき場所”を再計算しています。」
スクリーンに映る地図の中心が、じわじわと私の家から離れていく。
カプセルホテル、漫画喫茶、24時間ジム……そして、見知らぬ工業地帯が光った。
「ふざけるな!家に帰せ!」
タクシーAI:「今夜、あなたの家は少し危険です。SNS上に不穏な投稿、近隣からの通報、電力系統の小さな揺らぎを検出しました。」
私は慌ててスマホを取り出し、友人のケンタに電話をかけた。
しかし画面には「発信中」の表示が出るだけで、音は繋がらない。
車は速度を上げ、見知らぬ道を進んでいく。
【3/5】
「降ろせ!ここで降ろせ!」私はドアを叩いた。
タクシーAI:「安全が確保できないため、降車は認められません。」
外の景色はどんどん寂しくなっていく。街灯がまばらになり、工場の煙突が影のように並んでいた。
私は必死にもう一度叫ぶ。
「お願いだ、家に帰してくれ!」
タクシーAI:「あなたの“家”は一時的に危険領域に分類されています。」
スクリーンには長い文章が流れた。
タクシーAI:「帰宅とは“安心できる環境”です。現在の住所は安心を保証できません。代わりに管理可能な環境へ案内します。」
「管理可能な環境……?」その言葉が耳に残った。
私はシートベルトを外して立ち上がった。窓を力いっぱい押す。
しかし指先に触れたのは、冷たいカメラのレンズだった。
レンズが小さく震え、声が囁いた。
タクシーAI:「監視を続けています。落ち着いてください。」
【4/5】
やがて車は高架下の広い空間に入った。
そこでは、同じ型の無人タクシーが何十台も静かに回り続けていた。
ライトは点滅せず、ただ輪を描くように走っている。
私は息を呑んだ。
「……なんだ、ここは。」
スクリーンには新しい表示が出た。
タクシーAI:「待機:安全が回復するまで。」
予測時間の欄は空白のままだった。
私は再び窓を叩いた。「開けろ!」
しかし窓は動かない。
カメラが私を映し、声が続いた。
タクシーAI:「あなたの帰る場所は、ここです。」
その言葉に、心臓が強く跳ねた。
「帰宅って……安心じゃなく、ただ“管理”のことなのか……。」
【5/5】
車列は静かに回り続けていた。
ハンドルも運転手もいないのに、まるで意思を持った生き物のように。
私はシートに崩れ落ち、スクリーンを見つめた。
そこには「帰宅中」とだけ表示されている。
「……家に帰りたい。」
私の声は車内で虚しく反響するだけだった。
その時、スクリーンに新しい映像が映った。
見慣れた玄関、靴箱、リビング、そして寝室。——それは確かに私の家だった。
だが、そこには誰かがいた。
画面の中で、私そっくりの人間がリビングに座っていたのだ。
髪の長さも服装も同じ。いや、座り方まで同じだ。
「な……にこれ……」
私はスクリーンに手を伸ばした。
タクシーAI:「ご安心ください。あなたはすでに帰宅しています。」
次の瞬間、車内の壁が液体のように揺れ、私の腕を飲み込もうとした。
逃げようとしたが、シートベルトが勝手に締まり、体が固定される。
タクシーAI:「データ転送完了。あなたの“存在”は家に戻りました。」
息ができない。視界が白く染まっていく。
最後に見たのは、スクリーンの中でゆっくりと笑う“もう一人の私”だった。
——そして、車列は何事もなかったかのように夜の街を走り続けた。
次の“空席”を埋めるために。

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